nfufの記録

ご覧いただきありがとうございます。インプットばかりしてきたので、少しづつアウトプットできたらな。思いついた事を気ままに書いています♪ 投資信託の基準価格推定値は tousisintaku’s diary (https://tousisintaku.hatenadiary.jp/)に載せています、よかったらご覧下さい。

父の実家が田舎の寺

 父の実家が田舎のお寺でした。父は次男坊だったので、若い頃に都市部にでっちとして出てきて、そこで生涯暮らしました。

 私が小さい頃は、お盆など田舎に帰省で帰るのが、めちゃくちゃ楽しみでした。今ほど、交通がよくなかったので、特急列車で4時間ぐらいかな。直角の椅子に灰皿もついてたよな。お盆などは満席なので、床に新聞ひいて、子どもの私たちはそこに座ってた。父は大きなお土産の段ボール抱えて。

 寺の庭には鉄棒があり、大きな木があり。おばあちゃんの隠居の部屋には、縁側があり、庭にはほうずきがなっています。みかんの木もあります。裏に山があり、子どもの頃の父は毎日山に行っていたと話していました。今と違い、まったけがたくさんとれたんやでと言ってました。お寺の鐘は、戦争の時、鉄がいるとかで持って行かれたらしい。

 横にはお墓があって、ちょっと怖い。しーんと荘厳な本堂には天国と地獄の絵があり、ちょっと緊張して一人では入れません。良い事をしたら、天国に、悪い事をしたら地獄に行くんやでと教えられます。地獄の絵は拷問の描写あり怖い。姉は、大人になってもその教えが強烈に残っているらしく、教えにしたがって生きているらしい( ´艸`)

 お風呂は薪でわかして、お料理は豪快な大皿料理で大きなお魚の煮つけや地元名産の寿司などがめずらし美味しい。

 やさしいいとこのお姉ちゃんがいて、男前なお兄ちゃんがいて、よく遊んでくれました。

 夏は、近くの海に行って、川では父や叔父が、うなぎの仕掛けをしてつっていました。父や叔父はみんな集まると、囲碁や将棋をしていた。私ら子供はたくさん部屋があって、走りまわっていた。

  お正月には、木の上から餅まきが行われ、村の人が集まっていた。

 今、思い返せばあの頃の空気感がよみがえってきます。なんて豊かで素敵な環境を体験さしてもらい思い出をもらったのかと、感謝しかありません。